teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


ドバイで

 投稿者:倉沢淳二  投稿日:2013年 6月24日(月)18時49分1秒
返信・引用
  がんばる淳美ちゃんはやっぱえらい!!(^-^)

 
 

淳美ちゃんを

 投稿者:倉沢淳二  投稿日:2013年 1月21日(月)19時50分53秒
返信・引用
  慕う姉妹?最高!!あんたはエライ!by小松政夫  

あっちゃんインドバイ

 投稿者:倉澤淳二  投稿日:2012年 6月21日(木)13時32分49秒
返信・引用
  淵野辺のジムに俺もいっときゃよかった(笑)




相模原の陽光台が懐かしいぜ!!




セレブになっても、あっちゃんはあっちゃんのままでいて・・・・




熟練した鳥だけが囀るならば、森は静まりかえるであろうby倉澤重満さん




あっちゃんのことだから、なーんも心配あらへんね!




にしても、息子くんたちいけめんだし、桂・・・えっと娘さんはこりゃもう13でモデル並みの美貌だわ。




旦那さんがハンサムでタレ目だから、あっちゃんのタレ目と融合して、次男くんと長女さんはタレ目だった。長男くんはちと違った感じ。




黒髪のあっちゃんがまた見たいけど、あっちゃんが元気でしあわせなら何もいうことねぇ!!

ドバイという国は、小學6年生のときに、山本君が持っていた「ペトロポリスゲーム」で覚えた。




石油産出国で、中近東のほうなんだなってわかった。




緑のグループに属されており、シャルジャとアブダビも覚えたが、地図をよく眺めていたが、この3つって国??って疑問に思っていた。




どうやら、アラブ首長国連邦のその中の国らしい。




オレンジ色の3つが、イラク、クエート、エジプトだったかな。




紫色が、カタール、バーレーン、オマーンだ。金額が高井順。(緑はアブダビ、ドバイ、シャルジャの順だったか)
 

おめでとう!おめでとう!淳美ちゃんとオレ!

 投稿者:倉澤淳二  投稿日:2012年 4月19日(木)19時55分9秒
返信・引用 編集済
  同じ日数だけ人生を歩んでいる淳美ちゃん、40代ど真ん中までやってきたけど、お互い、がんばって時間旅行を楽しもうぜ!!

あっちゃん、オレと同じくらい熱いりずくんの記述を少しだけここに認めます。俺の加筆部分は色を変えていきたいと思います。

淳美ちゃんの書

前文

私が倉沢淳美ちゃんを応援していた事実をまとめて書き残すものである。

これは私の記録であり、また倉澤淳美ちゃんの記録でもある。

                      倉澤淳美ちゃんの1ファン

                          りずくんと倉澤淳二
倉澤淳美様

本書にて貴女を呼び捨てにすることをお許しください。いや、しません。

私にとって貴女は敬語の域を超えた方です。


第1章


1倉澤淳美ちゃん

昭和四十二年(1967)四月二十日日生まれ。(俺もーー!!\(^o^)/)

ひつじ年、おひつじ座(または牡牛座)である。(俺もーー!!\(^o^)/)

血液型B型。正確にはBo型(俺もーーー!!!\(^o^)/)

家族は 父 重満さん(俺の父も「重○」だよ!\(^o^)/) 母 寿賀子さん 弟 一重くん

2この女性が私と何か直接な関係があるかというと、おそらく何のつながりもない他人といえよう。では、私がこの女性を応援するきっかけとなったことから書くことにする。

3周知のとおり、TV朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」でデビューした淳美ちゃんは、当時十五歳であった。私が十三、中一の時である。俺は当然十五歳、中3?高1のときである。

4「欽ちゃん」の番組が好きだった私は、この「欽どこ」もほとんど欠かさず視ていた。小3の頃から視ていたような気がする。そこで新しく三つ子の一人として登場した淳美ちゃんを知ったのであるが、その当時は、3人の中では一番可愛いと思った程度で、ほとんど意識はしていなかったのである。俺も、そうである。

5のちにわらべとしてデビューしても、ソロデビューしても、レコードを買うわけでもなく、アイドルの中では好きな方ぐらいの気持ちであった。

これは俺は違う、俺は隣の部屋に忍び込んで勝手に見た、明星の本だかに、わらべの3人が載っており、そこに、生年月日を見つけ、衝撃が走ったのである。

淳美ちゃんは、まったく同じ日に天命を授かった女の子ということ、血液型まで一緒ということ・・・まさしく運命を感じたのである。その事実を知り、今まではなんとなくだった気持ちが一気に膨らみ、と同時に淳美ちゃんもどんどん洗練されて、オレのまさしくタイプの優しそうなタレ目+ほっぺたふっくらな女の子へと変わり、虜になったのは言うまでもない。もちろん、ソロデビューしたときにまっさきに、倉敷の笹沖にあったダイイチ産業にレコードを買いに走った。(レンタルレコード屋が中学生のときにでだして、竜児くんを筆頭に俺たちは借りまくって、それを電気屋さんのデッキやコンポでテープに録音しまくっていたというなんとも無茶をやってたはた迷惑な中学生軍団・・・ダイイチ産業さん、エイコーさんごめんなさい)

そのとき忘れもしないのだが、レコード売り場に駆け寄ると、俺よりも前に淳美ちゃんのレコードを手にとった少女が偶然いた。

俺はものすごく嬉しくなった。この女の子も淳美ちゃんの良さがわかってくれるのか。

同性にも人気のある優しい淳美ちゃん。


俺よりちょい年下ぐらいのその淳美ちゃんカット(聖子ちゃんカットね、ほぼ)の女の子が可愛くてたまらなく思え、「ありがとう」と淳美ちゃんの代わりに握手したいほどだった。(このブログを読んでいたら連絡ください(笑)淳美ちゃんカラオケしましょう)

レジでその子に続き「プロフィール」を買い、ウキウキして家に帰って針を落として優しい歌声に聴き入った。

何せ、プロフィールが俺と同じで、それを淳美ちゃんの口から聴けるのだからニヤけて仕方ないことだった。

いつごろ本気になったか?その明星の本を見たのが、わらべが「めだかの・・・」を発売してブレイクした頃だったはず。

6従ってデビュー当時の淳美ちゃんのことはほとんど分からないのである。

7当時は人気も高かったし、そのために不幸にあうこともあったようであるが、その人気も二年目にして「欽どこ」をやめたこともあり、おさまったようである。

8その昭和六十年(1985)の夏、私は夢を見た。

9その頃、生きることにも 疑問を抱いていた私に一つの答えを与えてくれた。

10私は幼い子供のように、淳美ちゃんと追いかけっこをしたのである。それが始まりで、それまでただのアイドルだった淳美ちゃんを私は意識しだしたのである。

11そんなこともあって、ふと淳美ちゃんのレコードを集めようという気になった。

12最初に買ったのが、ファーストアルバムの「メッセージ」である。

聴いてみるとなかなか私の好みの曲が多く、歌という面でも淳美ちゃんが好きになったのである。

まだまだ先は長いのでこの辺で今回は!


どうですか?淳美ちゃんをこれほどまでに慕う人は、俺以外にもいるんだなって、このりずくんと文通をしていて、驚かされました。それほどの人なんです。淳美ちゃんは!!


超忙しい売れっ子のときに、こんな倉敷のド田舎に住む俺にラブレターのお返事くれる女神さまですから!!高2のときに、帰宅してポストを見るとこれが!!

もう雲の上の存在の淳美ちゃんからお返事もらえて、もう肌身離さず、学校にも持っていきました。(家が火事になって燃えたら困るから。)

体育の時間も首からぶらさげて肌につけて走り高跳びもやってました!(もちろん、ダメージ受けないようにはさみ跳びのみ。)プールの時間はなかったので助かりました。

「シール」のことを淳美ちゃんにお礼言われてますが、これは見事に淳美ちゃんのことをよく知っていたから、してやったり!でした。

淳美ちゃんの記事で、シールがお気に入りというのが少しだけ書いてあったので、当時最新の、写真をシールにする(のちに出るプリクラの元祖)プリントという技術があるのをカメラ屋さんで知って、淳美ちゃんのポスターを一眼レフで写して、それを現像に出すとき、ハガキサイズの16分割ミニシール(まさに初期のプリクラサイズ)で注文、何種類か淳美ちゃんにラブレターとともにプレゼントして、「使ってください」とあげたんです。


グッズとしても販売できる代物を!!

これが見事に淳美ちゃんのプリクラ好き乙女心をくすぐったようで、本当に嬉しかった!!


最初のラブレターに同封した1967年4月20日木曜日の本物の新聞(親がとっておいてくれた)がはずしたようだったんで(これはファンクラブに送らず欽どこ宛だったから、ひょっとして淳美ちゃんに届いてないんじゃないかと今でも思う、スタッフから印刷のハガキがきた。2通目はファンクラブに送って淳美ちゃんに読んでもらえてお返事がきたのだ!1通目からそうしとけばよかった。ファンクラブにも変なプライドもって入らなかったの馬鹿だったよ・・・おニャン子クラブのときもそうだけど)余計に嬉しかった!!

淳美ちゃんの生写真と、このお返事を前に置いて、ギターでいろんなラブソングを弾き語りして、あっちゃんへ想いを毎日歌ってました。

勉強はおかげで、最高潮に学力あがってた頃で、まったく苦じゃなく楽しかったです。

この頃から、淳美ちゃんに会うために、上京をもくろんで、あっちゃんの住む神奈川の横浜国立大学に現役合格してやろうと、「ガリ勉」とののしられようが、「おまえの辞書ドブに捨てたんか?(単語をひきまくっていたので手垢ですごくボロボロだった)」と言われても微塵もブレることなく、ほくそ笑んでました。(あっちゃんとの出逢いを信じて)

淳美ちゃんとおニャン子クラブ(勉強にめっちゃ取り入れた)のおかげで、大学受験勉強が楽しくてしかたなかったので御座います。集中力はアンリミテッドでしたね。


淳美ちゃんから直接の応援をもらって、落ちるわけにはいかないでしょう!(この応援のお返事のほうは、明日アップできたらしましょう!)

淳美ちゃん、最高の青春時代をくれたことを本当に感謝してます!!貴方のような優しい女性と出逢えたこと、同じ時を刻めること、このうえない喜びです!
 

Re: かなえちゃん

 投稿者:倉澤淳二  投稿日:2012年 2月10日(金)22時00分32秒
返信・引用
  > No.3[元記事へ]

なすびさんへのお返事です。

> 一ヶ月ほど前の深イイ話の特番で、わざわざオーストラリアから帰国してたまえちゃんと見栄晴くんと歌って踊ってくれましたね~^^お変わりなく可愛かった♪

なすびさん、(=^0^=)ありがとうございま~す。多分見たと思います!あっちゃん、美しく年を重ねてますね!坂口良子さんの目を見ると、なんとなく似ている気がしてしまいます。良子さんは、かなりお年を召されていますので、あれですが・・・

オーストラリアのあっちゃんが働いているパン屋さんの名前もYOUTUBEで、教えてくれた方がいました!オーストラリアいきてぇー。あっちゃんのパンくいてぇーー!!
 

かなえちゃん

 投稿者:なすび  投稿日:2012年 1月10日(火)23時27分2秒
返信・引用
  一ヶ月ほど前の深イイ話の特番で、わざわざオーストラリアから帰国してたまえちゃんと見栄晴くんと歌って踊ってくれましたね~^^お変わりなく可愛かった♪  

誕生日!

 投稿者:倉澤淳二  投稿日:2011年 4月23日(土)00時39分14秒
返信・引用
  オメデト! ^-^)ノ☆.。・:*:・゚`☆、。・:*:・゚`★.。・:*:・゚`☆.。・:☆♪
あっちゃん!!俺もー!(^ー^* )フフ♪
 

あっちゃんの

 投稿者:倉沢淳二  投稿日:2010年 5月10日(月)23時53分5秒
返信・引用
  お部屋完成!!
 

レンタル掲示板
/1