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老後の目標

 投稿者:編集部  投稿日:2015年10月18日(日)10時35分37秒
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                   老後の目標



 この年になって、やっと自分の人生の目標がわかってきたように思う。今頃になって?
 少し遅すぎやしない? という声が聞こえてきそうであるが……。そう言えば、小学六
年の授業で「将来の夢」を発表することになった。散々考えたあげく「大きな会社に入っ
てきれいな嫁さんをもらうことです」と言ったところ、担任の女教師は「えらく現実的な
夢ね」とつぶやき、教室内の反応も、もひとつだった。以来、夢とか目標といった話は敬
遠するというか、真面目に考えたことがない。
 それで失敗したことがある。大学受験の時。国立の場合、理科は物理・化学・生物から
の二科目選択で、理系は物理が必須であった。当時、“大きな会社”に入るには理系の方
が有利と言われており、深く考えもせずに高一=生物、高二=化学、高三=物理のコース
を選択した。そして高三の最初の模擬テストで、物理の成績は百点満点として五点。もち
ろん、総合ランクは急落した。それでも気を取り直し、夏休み明けの模試に臨んだが、十
五点。やっと自分は理系には向かないと悟り、急速、生物に変更。二週間のにわか勉強で
受けた生物の模試の成績は六十五点。否応無しに文系へと進路を変えた次第。
 その後、紆余曲折を経て、運良く“大きな会社”(川崎製鉄)に入社。そこで同期の連
中に進路で悩んだ話をしたところ、事務系の仲間は一応理解を示してくれたが、技術系は
全員が全員、信じられないと言う。そして多少嫌味もあると思うが、我々技術者は各々の
専門分野を究めるのに時間がかかる、進路で悩むような時間は無い、と一笑された。
 つまり、進路で悩むのは、文系だけだということ。皆さんの中で、孫からその種の相談
を受けることがあったら、即座に返答したらいい、文系へ行けと。おじいさんの株が上が
ること必定である。

 さて、本題に入るが、私の目標は人生の訳知りになること。訳知りとは、人生や物事の
事情に通じていることを言うが、世間一般の常識的な見解とは違って、人生の機微を解す
るというか、表面からは知りえない微妙な心の動きや真理を知ることだと考えている。
 具体例として、手前味噌になるが、本誌十四号掲載『毒舌家』(←*リンク 編集部)で書いた
ブス論議がわかりやすい。世間一般には美人の方が冷たくて、性格が悪いように思われて
いるが、実際にはブスの方が根性が悪いということを綾々説明したつもりである。その後、
社会面で、ブスだからと安心して貢いだ男性が殺害されるという気の毒な事件が相次ぎ、
私の訳知りが多少は証明された、と思っている。
 実は、私のブス論議と殆ど同じ論旨を流行作家の百田尚樹が『モンスター』で展開して
いる。私の妻など、あまりに似ているため本の発行日を調べたほどだ。なお、百田のベス
トセラー『永遠の○』は文学的レベルはさておき、私らの世代なら泣けること請合いであ
る。
 この例でもわかるように、訳知りかどうかは非常に微妙な問題で、下手をするとすぐに
独りよがり、独善に陥る。それだけに面白いし、人生の(実際には老後の)目標たりうる
のではないか、と思っている。したがって、以下述べることも、訳知りなのか独りよがり
なのか、読者諸君の厳正な評価を期待する次第である。
 まず、わかりやすいところで、老いについて。老人と若者とを比べて、一般的には若者
の方が短気だと言われている。しかし、これまでの経験では、短気なのは明らかに老人の
ほうだ。理由もはっきりしていて、身体的劣化で我慢ができないから。短気に見えないの
は単に反応が鈍いだけのことである。
 ところで、訳知りということを文中でよく使った作家は司馬遼太郎である。司馬は好き
な作家で、私がその人の全作品を読んだと言えるのは、彼と藤沢周平である。現役では東
野圭吾と宮部みゆき。この四人に共通するのは駄作が極めて少ないこと。ただし、作家や
芸術家など創造性を要求される仕事は六十才くらいまでが限界だと思う。司馬は『菜の花
の沖』あたりが分岐点で、それ以降の、例えば『箱根の坂』、『韃靼疾風録』はいい作品
だが、くどい。彼、独自の歴史観が何回も繰り返され、食傷する。自戒をこめて、年のせ
いである。
 次に恋愛について。よく恋愛と結婚は別だと言う人がいる。結婚は世間体とか、生活の
安定とか、悪い言い方をすると打算が働くからと。しかし、私は若い時からずっと恋愛も
一緒じゃないかと思っていた。そんな時、寺山修司作詞の『時には母のない子のように』
に出会って、その思いを強くした。不思議な歌詞で、母から離れて自由になりたいと言い
ながら――母のない子になったなら、誰にも愛を話せない――と歌う。この母とは、世の
中のしきたりや生活のことと私は解する。これらの制約がなければ、恋愛そのものも成立
しないと言いたいのではないか。
 この恋愛観は男女の違いもあろうし、異論のあるところだと思うが、面白い話がある。
官僚上がりの作家で大臣にもなった堺屋太一はかなりの晩婚であったが、その時のプロポ
ーズの言葉――私と結婚していただければ、お金と浮気の心配はさせません――は、流石
に女心がわかった訳知りの弁だと思う。
 話を戻して、ある種、制約がなければ恋愛も成立しないと言ったが、このことは、社会
や組織、文化等、人間活動の様々な分野で言えることではないだろうか。とくに、制約と
は反対の意味の自由も――。
 例を挙げたい。冷戦時代の東欧圏で、社会主義国ならではのジョークが生まれた――自
由を求めて脱出した男がしばらくして戻ってきた。理由を聞くと、あちら(自由主義)の
国では洗濯機一つ買うにも何種類かある中から自分で検討し、自分で決めなければならな
い、それが苦痛で戻ってきた。こちらは性能が悪くても一種類しかないから楽だと――。
 このジョークと、サルトルだったと思うが――第二次大戦中、ナチスドイツの占領下に
あったパリの市民ほど自由を享受できた時代はない――という趣旨の言葉とを重ね合わせ
ると興味深い。
 人間は自由を求めるが、同時に何らかの制約を必要とする。宗教(戒律を伴う)が生ま
れた理由の一つかも知れないし、オウムの教えを盲信した高学歴の信者のこと、ゆとり教
育が失敗した理由等々、考えがあっち飛びこっち飛びするところが訳知りの醍醐味である。

 人生の訳知りになることを目標にした以上、毎日が勉強である。新聞・雑誌・テレビ等
の情報収集はもちろん、読書・会話・旅行・講演や映画・演劇の鑑賞等を通じ、訳知りレ
ベルの向上に努めている。その過程で、この年になるまで、こんなことも知らなかったの
かとの新発見、新体験が度々あり、実に楽しい。
 先日も読売新聞の日曜欄に貝原益軒の話が載っていた。あの腹八分目を提唱した先生だ
が、その著書『養生訓』で――身を健やかに保ち生気を養うには大切にすべきただ一文字
がある。それは〈畏(オソレ)の字是なり〉。畏れるとは身を守る心の法であり、気ままを畏
れるところに、慎みの心が生まれる――と。感服した。先生こそ人生の訳知りの達人だと。
同時に、人生の訳知りになりたいなんて畏れを知らぬ不届き者め、と叱られた気がした。
                                   (完)


              

斜光20号 2015

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