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左派的心情―私的映画論

 投稿者:編集部  投稿日:2019年10月24日(木)14時18分1秒
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          左派的心情―私的映画論



 先頃、テレビの衛星放送で、『ドクトル・ジバゴ』をやっていた。この映画を観たのは
昭和四十一年。会社に入って一年が過ぎた頃。実社会の厳しさにプレッシャーを感じてい
たのか、「映画をこうやって真剣に観るのはこれが最後だろう」と呟いたのを覚えている。
その後二、三年は映画を観る暇も余裕もなく、再開したのは同四十四年頃。ちょうど、映
画界も、アメリカン・ニューシネマの勃興期で、久々に活況を呈していた。
 ハリウッドでは、『俺たちに明日はない』『卒業』『真夜中の力~ボーイ』『明日に向っ
て撃て』『イージーこフイダー』等、新進気鋭の監督たちによる傑作が相次いで公開され
た。一方、かつてヌーベル・ヴァーグ(新しい波)で世界の映画界を席巻したフランス映
画は、その立役者たち、トリュフォー、ゴダール、ルイ・マルが揃って低迷、やがて衰退
の一途を辿ることになる。同じくイタリア映画も、フェリーニ、アントニオーニの後を継
ぐ才能を見いだせないまま没落していく。その中で、巨匠ヴィスコンテイの『ペニスに死
す』は、老いを感じさせない傑作で、忘れ難い。
 日本の場合、昭和三十三年に十一億人に達した映画館入者数が四十四年には三億人を割
り、四十七年には一億人台に。大映は倒産、日活はロマンポルノに路線変更をする始末。
質的には、戦後の日本映画を引っ張ってきた黒輝明・小津安二郎・溝口健二ら巨匠たちの
年齢的衰えが大きい。それでも欧州のように惨憺たる状況にならなかったのは、大島渚・
浦山桐郎・篠田正浩ら、和製ヌーベル・ヴァーグ世代の頑張りによると言える。大島の『儀
式』は私の評価では、日本映画歴代ベストテンに入る作品だと思う。
 低迷が続く日本映画に救世主が現われた。山田洋次監督である。昭和四十四年に始まっ
た『男はつらいよ』シリーズは平成八年まで続き、全四十八作。そのすべてがヒットし、
作品の質も高い。まさに前代未聞、驚天動地の活躍だった。山田の凄さは、シリーズの合
間に作る正統派映画というか、“純映画”(注・小説の世界でいう純文学、大衆文学をも
じって私がつけた造語)が傑作揃いであること――『家族』『故郷』『幸福の黄色いハン
カチ』『息子』『学校』シリーズ等々、駄作の少なさは他の追随を許さない。
 さて、他の国が皆コケて一人勝ち状態のアメリカ映画であるが、ニューシネマ旋風は思
いのほか短命だったものの、『ゴッドファーザー』や『ポセイドン・アドベンチャー』等
の大作路線に切り替え、世界をリードする。その過程で、映画は大きく変質するのである。
 その変化を一言で言えば、映画が娯楽性だけを求めるものになったこと。すなわち、社
会性、イデオロギー、宗教、愛国心や民族主義といったテーマが減り、無国籍で、ノンポ
リで、単一価値観のヒロイズムをCGを駆使した映像とアクションで観せる、娯楽一辺倒
の映画に変わっていった。
 その代表的な作品がS・スピルバーグの『E.T.』(昭和五十八年)である。娯楽に徹
した彼の映画は家族向けにぴったり。『インディ・ジョーンズ』『バック・トゥー・ザ・フュ
ーチャー』『グーニーズ』……。当時、札幌に住んでいた私は小学生の息子二人を連れ、
家族で映画館通いをしていた頃を懐かしく思い出す

 では、映画を変質させた原因は何か。観客の意識の変化だと思う。冒頭の『ドクトル・
ジバゴ』に話を戻したい。
 この映画の原作者はロシア人(当時はソ連)のパステルナーク。この小説でノーベル文
学賞に指名されたが、ソ連政府の圧力で受賞を辞退している。粗筋は――革命前夜のロシ
ア。主人公ジバゴは貴族階級への反発もあり、革命派にシンパシイ(共感)を抱いていた。
しかし、革命が成ってからの政府は、帝政時代以上に抑圧的で暴力的。愛する恋人とも別
れさせられる。バラライカの奏でる“ララのテーマ”やの哀切なメロディが心に残る――。
観終わって、かなりショックを受けたのを覚えている。作品の良し悪しは別にして、これ
ほど明確に共産主義、社会主義を批判した映画を観たことがなかったからである。強いて
言えば、ポーランドのA・ワイダ監督による『灰とダイヤモンド』以来か。

 いま考えると、米ソ対立の冷戦時代に、日本を含む自由主義の国で、共産主義、社会主
義を批判する映画がほとんど作られなかったのは不思議であるが、当時はそんな雰囲気で
はなかった。すでにベトナム戦争は始まっていたが、圧倒的なアメリカ軍に立ち向かうベ
トコンの姿にシンパシイを感じる映画人、知識人、マスコミは多かった。ベトコンや北ベ
トナム軍は解放軍、東南アジアの共産化を阻止するために派遣された米軍は敵役、そんな
図式だった。戦争は泥沼化し、アメリカ国内でも厭戦気分が高まり、若者を中心とした反
戦運動が生まれ、やがて欧州、日本へも広まった。べ平連という言葉がマスコミをにぎわ
せたのもこの頃である。なお、ニューシネマも反戦運動の影響が大きいと言われている。
 この反戦という思想は、第二次世界大戦後の日本を含む世界の映画人の最大のテーマで
あった。反ナチス、反フアシズムから始まり、やがて戦争責任の追及へと進む。そうなる
と、資本主義は分が悪い。なぜなら、先の大戦は、資本家が軍部と結託して植民地獲得に
走ったのが原因で、その引き金になったのは世界恐慌だ、というのが一般的認識だったか
らである。したがって、映画人の多くは反資本主義であり、反体制派、いわば左派的心情
の持主だと言える。それが戦後二十年たっても脈々と受け継がれていたわけである。
 しかし、昭和三十年代にはすでに、フルシチョフによるスターリン批判があり、大粛清
で千万単位の人が殺されたこと、また、毛沢東の大躍進政策の失敗で、これまた、千万単
位の餓死者が出たというニュースは入ってきていた。ただ、この情報をきちんと取り上げ
たメディアは少なく、むしろ、ある新聞社は「北朝鮮は地上の楽園だ」なんて書き立て、
それを真に受けて北朝鮮に渡った日本人妻も多くいたとか。罪深い話である。
 昭和五十年前後から状況は一変する。サイゴン陥落後のボート・ピープル、カンボジア
でのポルポト派による大虐殺、文化大革命終了に伴い明らかになった人権無視の実態等々、
共産主義国家に対する幻想は消え去った。わが国では連合赤軍による凄惨なリンチ事件、
あれ以来、学生運動は下火になる。そして六十年以降、ゴルバチョフによるペレストロイ
カ、鄧小平による改革・開放運動が進み、ソ連、中国ともに“資本主義化”する。平成三
年、ついにソ連崩壊。イデオロギーから娯楽志向へと、観客の意識の変化に、いち早く対
応したハリウッド映画は世界を席捲する。
 主なシリーズ作品だけでも――『スターウォーズ』『ダイハード』『エイリアン』
『ターミネーター』『ジュラシックパーク』『ロードーオブ・ザ・リング』『リーサルウェポ
ン』――きりがないので止めるが、これらの映画が、民族、人種、国境を越えて世界中で
観客を動員した。私はこれを映画のグローバル化(地球規模化)と呼んでいる。本来の、
政治・経済のグローバル化は近年、保護主義の台頭等で揺らぎ始めているが、映画のそれ
もピークを過ぎた、と私は思っている。平成十年公開、J・キャメロン監督の『タイタニ
ック』が記録的興行成績を挙げて以降、ヒット作は『ハリー・ポッター』シリーズぐらい。
作品的にも往時の勢いはない。企画力不足なのか、かつての人気シリーズの二番煎じが目
立ち、グローバル化も曲がり角を迎えたようだ。
 一方、日本映画はハリウッドと違い、イデオロギーからの解放が中途半端な印象を受け
る。資本主義、自由主義の方がマシだと理解し、その恩恵を受けていても、左派的心情ま
では捨てきれない映画人は多い。例えば山田監督の場合。『男はつらいよ』シリーズから
――集団就職の列車に乗り合わせた寅さんが子供達に「父さん、母さんをうらむんじやな
いよ」と言うシーンや、毎度のことだが、印刷所の工員達に向って「労働者諸君、今日も
頑張っているか」と呼びかけるシーン。笑いの中に、左派的心情への未練を感じさせるが、
どうだろう。もう一つ、山田と同世代の深作欣二。学生時代、彼の初期の作品『誇り高き
挑戦』を観て以来、注目してきた監督で、代表作は「仁義なき戦い」シリーズ。色々なジ
ャンルの映画を手掛けた職人肌の監督だったが、ベースはあくまでアウトローもの。左派
的心情を貫き通した監督だった。
 脱イデオロギーに手間取る一般映画を尻日に、観客の意識の変化に応えて台頭したのが
アニメ映画である。昭和五十九年の宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』以来、興行的には一
般映画を圧倒、やがて配収の五〇%以上をアニメ映画が占めることになる。さらに、海外
へも進出。またたく間に世界を席捲、グローバル化に成功する。平成十三年、『千と千尋
の神隠し』が世界市場を相手に記録的興行成績を上げたのは記憶に新しい。最近では『君
の名は。』が若年層を中心に大ヒットを記録した。
 一般映画、純映画でもようやく新世代というか、左派的心情を感じさせない監督が現わ
れた。周防正行である。『シコふんじやった』で注目を浴び、平成八年、『Shall we ダン
ス?』で日本いや世界中から喝采を浴びた。ハリウッドで同作品のリメイク版が作られた
が、これは黒潭以来の快挙であり、立派なグローバル化である。社交ダンスという趣味に
よって中年サラリーマンが人生の充実感や幸福を得る、というストーリーはこれまでの日
本映画にはなかった視点で、これからの映画作りのヒントになると思う。
 参考になる作品を、もう一つ。古い映画であるが、昭和二十四年、小津安二郎監督の
『晩春』。当時は労使紛争が絶えず、人員整理やストライキが頻発する。先の見えない騒
然とした時代。映画は、そんな世相には背を向けて、古都・鎌倉に住む父と娘の日常を淡
々と描き出す。慎ましい生活ではあるが、休みには茶会や能を楽しみ、たまには京都あた
りを旅し神社・仏閣を訪ねる――。日々の暮しに追われる観客達も、そこに一つの理想の
生活や生き方を見つけ、自分達もいつかは叶えたいという希望を抱く、そんな映画だった
と思う。
 そう言えば、松竹の後輩にあたる山田監督がインタビューの中で、「若い頃は、小津先
生の映画は小市民的だ、なんて批判していたが、時がたつにつれ、その良さがわかってき
た」と述懐し、後日、『東京物語』のオマ-ジュ作品を作る。
 最後に、グローバル化が一段落したハリウッド映画にも一言――目指すべきは、やはり
「イデオロギーなきヒューマニズム」。参考になるのは『ショーシャンクの空に』である。
                             平成三十年九月記

(斜光24号掲載)


                     

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