teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

新着順:22/22 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

涙 そして、ひばり考

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 9月25日(木)16時02分44秒
  通報
    .

          涙 そして、ひばり考 



    昭和が終わって平成が始まった年は「よく泣いた」、と著者は書いて
    います。泣いたり笑ったり、確かにこの年は何か日本という国が大き
    な曲がり角に来たような気がします。昭和天皇が亡くなりそして終戦
    直後に現れた昭和の歌姫も消え…。美空の死が曲がり角の象徴的なで
    きごとだったのではないかと、四半世紀経った今しみじみ思うように
    なりました。元号の変わり目と重ね合わせて、世の中の出来事や家族
    そして自分の歴史が走馬燈のように蘇ります。(編集部)




 平成元年(昭和六十四年)という年はほんとによく泣いた。環境の変化が大きい。
 この年の七月、六年間勤務した川崎製鉄(現JFE)札幌支店から同、大阪支社へ転勤
となった。子供の学校の都合もあり、しばらく単身赴任することとしたが、住まいは独身
時代に住んでいた住吉寮に出戻りとあいなった。この寮は神戸の山の手、住吉川沿いにあ
り、バックに六甲山をのぞむ抜群の住環境にあったが所詮、長距離単身赴任の身、寂しい
のに変わりはない。
 そんなある日、妻から手紙があり、その末尾に― 今朝テーブルを片付けていたら浩明
(二男・当時小学五年生)の一句がありましたので同封します。少しジンとくるでしょう
― とあり、コピーされた用紙が何枚か入っていた。それは日記の宿題らしく、毎日の出
来事を七五調で表現したもので、例えば、七月四日「父さんが札幌にいる日も後六日。父
さんいないとさびしいなあ」といった具合。続いて七月六日「父さんに今のうちに親孝行
かたをもんだりもっとしたいな」、七月八日「父さんとまた会えるのは来月だ、月に一回
じゃさびしいなあ」、七月九日「父さんが大阪に行くのはもう明日、大阪暑いしだいじょ
うぶかな」― 読んでいる途中に涙が噴き出してきて、止まらなくて往生した。あれ程泣
いたのは後にも先にもあの時だけだ。


 この年は美空ひばりが死んだ年でもある 何気なくつけたテレビで葬儀の中継をやって
いて丁度、彼女の親友の中村メイコが弔辞を読んでいた。その一節に ― 私はこれまで死
というものに大変な恐怖心を持っていた。しかし、もうこわくはありません。だって死ん
だら大好きな貴方に会えるんですもの― というくたりがあり、ここで不覚にも泣いてし
まった。その涙は勿論、二人の友情に感激してということもあるが、同時に申し訳ないこ
とをしたという悔悟、自責の念があってのそれでもあった。
 どちらかというと生前のひばりは嫌いだった。中学生の頃まではそうでもなく、ヒット
曲なら大抵は口ずさめたものだが、成長し、〔教養〕を身に付けるにつれ、彼女の大衆性
というか、あまりに庶民的なところが鼻につき、友達とよく悪口を言っていた。二、三例
をあげると、彼女は楽譜が読めないらしい、初見ができないらしいよ(自分もできないく
せに!!)とか、「悲しい酒」を歌う時、必ず泣くのはなぜなんだ。パブロフの犬じゃあ
るまいし、みっともないとか。「柔(やわら)」を歌う時の刈り上げ頭に柔道着姿は似合
わないとか―。取るに足りないことかも知れないが、人それぞれ美意識というのはあるも
ので、当時は(今もそうだが)人問の価値は上品かどうかで決まると考えていて、ひばり
はその対極にいると認識していた(誤解していた)せいだと思う。
 それでも後年、カラオケのお陰で歌うことの難しさを知り(とくに小節って奴)、また
会社における自分の位置、将来がみえてきた頃、高度経済成長の中、仕事の忙しさにかま
けて忘れていた親、ふる里、思い出、人情等々、自分の原点ともいうべき事柄が愛おしく
思われ、いわば、その象徴として美空ひばりが自分の中に復活してきたように思う。更に
晩年のひばりは「愛燦々」、「みだれ髪」、「川の流れのように」と不思議なくらい名曲
を連発しており、噂の不死鳥コンサートこそ見逃したものの、今度公演があったら必ず観
に行こうと考えていた矢先の死であったため、その喪失感と、生きているうちもっと評価
してやるべきだったとの悔悟の気持は強かった。

 しかし、悔悟、自責の念ということでは私なんかよりNHKの方がずっと強いはずだ。
何しろ昭和四十八年の紅白歌合戦で十九年連続出場のひばりを落選させたのだから。理由
は弟の不始末という、ひばり本人とは直接関係のない話だから罪なことをしたものだ。そ
のせいか、ひばり死去後、毎年、命日になると大々的にひばり特集をやり、昨年はついに
二十三回目を迎えた― 私も毎回「永久保存版」として収録しているのだから、変われば
変わるものである―。こうなると、悔悟なんて言葉より贖罪がふさわしいように思う。
 なお、昭和五十四年、ひばりは七年ぶりに紅白に復帰するが、その時のエピソードを日
テレの徳光アナウンサーが―復帰を頼みにきたNHKの人が帰った後、ひばりさんが楽屋
で号泣したというんですね― と語っていたが、泣かせる話ではないか。
 ただ、NHKだけを責めるのはどうだろうか。当時の新聞等をみると、マスコミは、ひ
ばりと暴力団との関係など徹底したバッシングを行ない、世論もそれに同調していた節が
ある。むしろ、NHKは世論に押されて、ひばりを落選させたというのが真実に近いよう
である。そう考えると、ひばり死去後二十数年、命日前後に繰り返されるひばりフィーバ
ーは国民的な贖罪の表われと言えるかもしれない…  一億総懺悔というか。

 余談になるが、右だといえば右へ、左といえば左へ、国民の大多数がいっせいに振り子
のように動く風潮は、日本人の国民性の一つだと言われている。政治の世界に目を向ける
と、先の郵政選挙の時、当の小泉さんも驚くような大勝を自民党にもたらしたかと思うと
一転、次の選挙ではその反動もあってか、民主党が大勝、政権交代が実現した。その民主
党も見切りをつけられたようで、次に「世論」が向かう先は橋下・大阪市長率いる大阪維
新の会か。確かに、「今の政治の仕組みを変えない限り、遠からず日本は沈没する」とい
う危機意識は共感するし、残された人生、おそらく最後になるであろう大転換を期待した
い。

 次に泣いたのは、この年のプロ野球・日本シリーズである。巨人が近鉄に三連敗した後
「巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と言った近鉄の某選手の放言に奮起した
巨人軍が見事四連勝。シリーズを制したのだが、子供の時からの巨人ファンでかつて昭和
三十三年、三連勝しながら西鉄・稲尾の神がかり的な奮闘で四連敗を喫した侮辱を忘れて
いなかった私には、長年の胸のつかえがおりたような感動的なシリーズであった。
 その最終戦。すでに大差がつき、巨人の優勝がほぼ決まった終盤、今シーズンでの引退
を表明していた中畑清が代打で登場。「絶好調男」として人気のあった彼が、大歓声の中
でなんとホームランを打ったのである。それも最後の舞台ということで、招待していた奥
さんが観客席で見守る中で―。感極まって泣いてしまいました。独身寮の一室で誰はばか
ることなく。
 思えば、この年、流した涙はみんな気持のいいものばかりだったなあ。

                           (平成二十四年二月記)

斜光17号 2012年



                 1950年のブロマイド
          
                美空 ひばり:昭和12年(1937)5月29日~平成元年(1989)6月24日
           (写真 wikipediaより 編集部)

81

 
 

新着順:22/22 《前のページ | 次のページ》
/22